第41話
前進座の思い出
戦後、初めて前進座が秋田に来たのは、共産党の組織の中での興業で、会場も学校の講堂だったりした時代でした。
わたしは芝居が好きだったので、見に行きましたが、観客は少なく「三番叟」などもちょっと思想的でした。
当時、秋田には「かつら師」がいないものですから、一々東京へ持っていかなければならない時代でしたので、楽屋へ行って「かつら」を結ってもらったり、国太郎、長十郎、翫右衛三氏の芝居を堪能しながら、化粧や着付けの勉強をしました。大変親切に教えていただき、楽屋の出入りもさせてもらって、いい勉強になりました。
暑い日などは「アイスクリーム」などを差し入れるのです。
そうしますと東京の歌舞伎の楽屋とは、全然雰囲気が違っていて、国太郎さんなどは下方の人たちに分けてやるんですね。たちまち不足してしまいます。すぐ三十個追加したりして・・・
平成三年でした。久しぶりの秋田興業がございました。そのとき国太郎さんに楽屋でお目にかかりましたら、わたしの年を聞くのです。そして
「わたしより10歳お姉さんですね。お大事に・・・」
といって、いろいろ話し合いましたが、あれが一生の別れになるとは思っていませんでした。「一本刀土俵入り」の蔦が、わたしの見た国太郎さん最後の舞台でした。
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