第42話
弟子にかこまれて幸せ
年を取ってきますと、走馬灯のように、色々な思い出が浮かんでくるものです。それは索引のないメモランダムのように浮かんでくるのです。そして
「よくもまぁ、必死になって、美容一筋。新しい技術を吸収したものだ・・・」
と自分をほめたくなることもございます。
外国から美容師がきたときも真っ先に参加したのがわたしでした。アメリカからいらしたアル・テーツさんの会にも、一回目から妹の小川美代子をモデルに参加しました。東北では、わたしだけではなかったでしょうか。今でこそ「三万、五万の講習料」は普通のようになりましたが、三十数年まえの数万という講習料は本当に高価なものでした。しかしこれが、今日のヘア技術革新の始まりだったのです。そして、わたしは自分で学んだことを、皆さんに伝え、美容界全体の向上に寄与したと、ひそかに自負しているのでございます。
病気などで入院しますと、東京からも仙台からも、心配して駆けつけてくれるのです。このようなことは、お話ししていいものか、どうか分かりませんが、実はわたし、タンスに鍵をかけたことがないのです。いまだに、その癖がついていますけれど、お金のことから、着物のことまで、わたしが何もしなくても、お弟子さんたちが、何もかにも、みなやってくれるのです。タンスの入れ換えまで全部やってくれるし、わたしがよそへ行って、今晩東京へ行くということになりますと、旅行の着物から、お金までもってきてくれるのです。
わたしは明治女のせいでしょうか、そういう弟子をたくさん持った幸せを、かみしめているのでございます。しかし現在は世相が違います。いまの人たちに師弟関係・・・などという言葉ははやりません。それだけに、これからは「自己責任」で向上し淘汰の激しい時代になってくるのではないでしょうか。わたしなどはちょっぴり寂しいけれど、いまは「そういう時代だ」と割り切って見ているのでございます。
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