第35話


京美人&秋田美人

 

もう何年前になるでしょうか。昭和43年ごろだったと思います。ABS秋田放送で
「奈良和モーニングショウ」というテレビ番組がございました。その番組で「京美人と秋田美人」は、どっちが美人か・・・という「美人の勝負」をしたことがあります。
判定をする人は、将棋の升田幸三八段、山本嘉二郎映画監督、それに当時「時事放談」で細川隆元とやっていた経済学者の斉藤栄三郎先生の三人でした。それに応援者として、県商工課から依頼された土崎の藤田渓山さんとわたくし。外にもう一人いました。当日は在京の秋田の名士が三〜四人きていました。
さて、その「京美人」と美人を競う「秋田美人」ですが、藤田さんもわたしも、その日が初対面だったのです。雄勝の方で「ミスオバコ」に出たことがあると言っていましたが、秋田美人というには、何とも平凡な田舎の娘さんでした。ただ、色は白くて、仙北娘のように肌はきれいなのですが、髪はスプレーでカチカチになっているし、山高帽みたいになっているのです。正直の話、どうみても「秋田美人の代表」とは思えませんでした。藤田さんもわたしの耳元で
「中村さん、困ったなぁ、困ったなぁ」
を連発するのです。そこで放送局のプロデューサーに
「京都のほうの様子をみてきてくれない」
「いいよ」
プロデューサーは簡単に引き受けてくれたのです。そして
「京都の女将やら、着物振興会の人やら、10数人が来ていて、何十万円の第一級の服装で挑むらしい。出演する人は京都の「ミス着物」です・・・云々」
と教えてくれました。藤田さんは
「中村さん、何とかなりませんか」
としきりに心配するのです。わたしは、これはもう「秋田おばこ」一本槍でいくしかないと思いました。写真家の土門拳先生から聞いたお話を思い出していたのでございます。
「秋田おばこの美しさは、春の黒い土を掘って、そこから出てくる白い茎の新鮮さだ」
これだ・・・と思いました。ここは秋田の女の肌で勝負するしかない・・・と思ったのです。
そこで彼女に聞きました。
「あんた、おばこの衣装もってきたの」
「持って、こにゃしナ」
「何かいい着物持ってきたの」
「持ってきたし・・・」
と言うので見せていただいたら、「つけ下げ」で、田舎の屋台で着るようなものでしたので、これでは勝負にならないと、急遽、秋田県事務所の方に相談しました。そして思い出したのは、小田急デパートに、生保内の田口さんが「民謡娘」を連れてきて、秋田民謡を唄ってることを思い出したのです。夜の九時過ぎ、ようやく田口さんの宿舎を探し出し事情を話して「秋田おばこ」の衣装一揃い貸してもらい、当日の朝に間に合わせたのでした。

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