第14話

国産1号のパーマネントマシン

わたしは「マーセルアイロン」を勉強して開業しました。
当時、アイロンは炭火で熱くするのが主流でしたが、わたしは最新の「電気アイロン」を使っていたのです。よく
「中村は新しもの好きだ」
といわれますが、わたしは何でも、新しいものに敏感でした。今でもそうです。

昭和7〜8年ころに、外国製の「パーマネントマシン」が日本に入ってきました。
ところが価格が高くて、手も足も出なかったのです。
1300円で家が一軒立てられる時代に、マシンの値段は1000円程でしたから、とても秋田では営業できるものではありませんでした。

わたしは「ここが、考えどころだ」と思いました。
秋田ではまだ、誰もやっていないけれど東京では、ボチ、ボチ使いはじめるところが出ていたからです。
「よし!、パーマは無理でも、セット位はできなくてはダメだ」
と思いました。
わたしは、決断しますと、行動は早い方です。
早速、東京へ行きまして、自分の頭にパーマをかけてもらい、セットの仕方を学び、まず「ドライヤー」を購入しました。
これが東京から来る名士の奥さんたちのセットを可能にしたのです。

念願の「パーマネントマシン」を購入したのは、昭和10年の年です。
開業以来親しくしていました山野愛子さんのご主人山野治一さんが、美容商事を創立し
「国産一号を買ってくれないか」
という電報を戴きました。
わたしはすぐに、その国産一号器を買いました。
東北でも最初だと思います。
こうしてわたしの新たな営業が始まったのでございます。

 

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