第11話

大正15年・秋田で開業


当時、秋田に美容院がなかったわけではありません。
和崎ハルさんの美容院があったのです。
しかし、あるにはあったんですが、大変申し訳ありませんが、内容的には新時代のものではありませんでした。

親戚に逗留している間に、二、三の方に洋髪を結ってさしあげましたら、それが評判になって、口コミで皆さんがいらっしゃるものですから
「秋田で開業したらどうか」
ということになり、開業準備もなしに、叔父の好意で二階のリノリュームの部屋に、鏡台を置いて、急ごしらえの美容院をつくったのです。

この評判は新聞社にも聞こえたのでしょう。
秋田魁新聞の記者がきて記事を書いてくれるのです。
そして、その記者がいいました。
「中村さん。和崎さんを向こうにまわしたら、えらいことになりますよ」


わたしは、和崎さんにお会いしました。
たいへんご立派な方で、軍人の奥さんでしたが、未亡人になられてから美容室をはじめられたということでした。
わたしと和崎さんのお付き合いは、その後、ずっと続きました。
結局、彼女は美容師をお辞めになって、婦人参政権の方に進んで行きました。
そして、秋田県初の女性代議士になられたのです。

わたしもよく婦人問題などで、いろいろな会に引っ張り出されたものですが、でもね。
わたしは、それに没頭する暇がありませんでした。
自分の仕事の方が忙しくて・・・。
当時
「女学校を卒業したら、第一番に洋髪を結ってみたい」
洋髪は女学生のあこがれの的になっていたくらいでございます。

しかし、お客さんの主流はやはり芸者さんや女給さんたちでした。
そのころ秋田の川反の芸者さんたちは美人ぞろいで、東京の新橋や赤坂にも劣らないくらい、芸もまた達者でした。
「ぼたん」「小時」「露香」「小夜子」「吉代」「老松」「玉蝶」「綾香」などなど、新派で花柳や河合が扮するような芸者衆もいて、中央の要人や歌舞伎俳優、文人墨客とも浮名を流したものでございます。

一緒に上京しますと、芝居やダンスホールなどへ行き、時には旦那も一緒に、向島の八百松などに、このわたしまで招かれて行ったものでございます。
いまから考えますと、優雅な時世であったように思います。

 

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