第3話

怖かった小坂のダム決壊

明治37年に日露戦争が起こりました。兵隊さんたちは各家々に泊まっていました。父は間もなく満州に渡りました。

幼稚園はアメリカ人宣教師ご夫妻が経営する秋田幼稚園の第一期生で、7〜8人の園児だったように思います。小学校は秋田師範付属小学校です。辻兵太郎さん、青柳安誠さん、那波まつこさん笹山愛子さんがお友達でした。半分ぐらいは官吏の子供さんたちだったように思います。

日露戦争が終わりますと、父は満州から帰り、鉱山の町、小坂へ引っ越し、洋服商を開きました。

わたしは学校の関係で少し遅れて小坂町に行きましたが、行った途端、あの有名な小坂鉱山の「ダム決壊」です。家はまる焼け、まる裸になりました。流出家屋160戸、死者50人、火災罹災者1000人あまりでした。

見舞いに来てくれた親戚に連れられて、また秋田に戻り付属小学校に戻りました。

「怖かった、本当に怖かった」

目の前で家が流されて火が燃えあがるのです。今でも思い出します。脳にインプットされたものは、90年以上たった今でも新鮮に思い出されるものでございます。小坂の「ダム決壊」で、一晩のうちに家も、街も何もかも、すべてなくしてしまったのです。すってんてんになっちまったの・・・。それが、子供ごころにも恐ろしく、小坂の両親のもとに戻る気にもなれず、東京の叔父の家に行き、早稲田小学校に転校しました。

その四月、東京に大雪がありました。20年ぶりの大雪だったそうですが、一尺ぐらいの雪でございますから、秋田に比べたら物の数ではございません。学校へ行ったら誰も来ていませんので「どうしたのかしら」と思って待っていますと、先生がやってきて「今日は雪でお休み」と言って帰ってしまいました。秋田は「何尺も雪が降りますから、わたしは平気よ」といったら「田舎の子は強いなぁ」としばらく話題になったものです。

 
    

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