第30話

美容ショーがきっかけでアメリカへ

 

中村美容院の「三十五年美容ショー」で、わたしは秋田ではじめて一般の人々に「十二単調」を披露しました。
その時、モデルをつとめた姪が、その後、夫の赴任でアメリカのダラス市におりましたので、その時の写真が目に留まったのでしょうか。昭和41年、ダラス市で「第一回ジャパンデー」が開かれる時
「ニッポンの花嫁ショーを出してみないか」、
主催のジェトロ(日本貿易振興会)と国際観光振興会からお誘いがあり、単身アメリカに渡ったのでございます。

ショーは大好評で、主催者からも感謝されました。
ショーはダラス、ヒューストン、ボストンで行う事になっていました。
日本を出発する時でございます。

出発の時でした。今は亡き日航の藤田課長が
「おぱさん、日本的謙譲の美徳は、あちらでは通じませんから、自信をもって、自分の持っている技術を、はっきり、堂々と披露することです。何回もいうけれど、日本流に、これはあまり良い出来ではありませんが・・・などとは絶対に言わないこと。言ったらダメです。そしてお土産などを買う時間があったら、広くアメリカを見学し、心の資本をたくさん持ってきてください」

わたしは藤田課長のこの言葉に、どれだけ励まされたか知りません。自信をもって、堂々と、たとえ自信がなくても、自信のあるようなふりをして、堂々と発表することによって「すばらしい」といって、握手攻め、キス攻めにあい、面目を保つことが出来たのでございます。

 

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