第27話
切磋琢磨した人たち
翌22年、東京に「全国美容連盟」をつくることになり、わたしも「東北協議会」の一人として、山形の岡村先生、岩手の木下八千代先生らとともに駆けずり回ったことが、昨日のことのように思い出されます。
美容界の理想は
1, 美容師の美容界をつくりましょう。
2, 日本の技術を世界の水準に高めましょう。
3, 全日本の女性を美しく幸福にしましょう。
この三つでした。この三つを「モットー」に、業態の確立に、美容界は打って一丸となり、厚生省、大蔵省、議会など、東京の先生たちと、霞ヶ関通いを続けたのでございます。
わたしは秋田から「お米」をリュックサックに入れ、「おにぎり」をつくって持っていくのが常でした。
美容界の「女次郎長」のニックネームをもつ田中雅子先生、千葉益子先生、二見重子先生らと、この設立を契機に強く結ばれ、終生の師友となりました。
その後、田中先生は、全日本美容連盟の会長となり、日本の美容技術を世界のレベルまで引き上げられ、千葉先生は全美時代の副会長となり
「一に人格、二に技術」と、マリールイズ先生のあとをつがれ、皇后様のお支度なども承るようになり、また明治記念館で多くの花嫁お支度の第一人者となりました。
二見先生は、東京都美容環衛組合理事長になられ活躍しましたが、みなわたしと同じくらいの年配ですから、人生についても、美容についても共通するものがあり、業態の良き師であり友となりました。また「花嫁コンクール」の先覚者、「百日草」の故太田順康氏は、ひとまわり違う「猪生まれ」のせいか、よく息が合い、美容界論を語り合ったものでございます。
わたしを支えてくれたことをいまでも感謝しております。
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