第22話

 

戦後最初に手掛けたコールドパーマ


忘れもしません。 昭和20年8月14日夜、秋田の土崎がB29の空襲で火の海になりました。
何しろ130機以上の大編隊でした。
放心状態でいた8月15日、パーマをかけに一人のご婦人がいらっしゃいました。
目の前がパーッと明るくなり、夢中になって、涙を流しながらパーマを掛けたことを覚えています。終戦第一号でした。

こうして、日本国民にとって、わたしにとっても長く苦しかった戦争は、日本の全面降伏という形で終わりました。
一つの時代の終わりは、新しい時代の始まりだと存じます。
やがて秋田にも進駐軍がきて、その家族も20人くらい秋田に住むようになったのでございます。

美しくなりたいという思いに国境はありません。
わたしはパーマを続けていたことを誇りに思いました。
パーマを通して、アメリカの女性たちと、いち早く交流することができたからでございます。
進駐してきた進駐軍のマダムたちが、わたしの美容院にいらして、
「アメリカでは、コールドパーマが主流ですよ」
といち早く新しい美容技術の情報をもたらしてくれました。

終戦になったといっても電気はまだ使用制限中でした。
材料も不自由でしたから、電気も使わずにパーマをかけられるという「コールドパーマ」は大変魅力的でした。
早速、薬品を買って試してみたのです。

ところが、これが大変なのーー。
コールドの始めはロッドではなく、紙縒(こより)でまいていたので、なかなか思うようにウェーブが出ないのです。
学生たちにビールや食事をご馳走しながら、何時間もかけて試してみました。
勿論、そのときはウェーブはかかっているのですが、次の朝になりますと
「先生、伸びちゃった」
となってーーみると、すっかり真っすぐになっていたりしてーーいまでは笑い話でございますが、当時は真剣でした。
こうして試行錯誤を重ねながら、コールドパーマの技術を習得、進駐軍のマダムに、PXのコールド一人前と、手持ちの衣料などを交換してどうにか思い通りのウェーブを出せるようになったのでございます。

 

 

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