第20話

戦争中も女は美しさを求めた

 

「パーマネントマシン」と「ドライヤー」が、ようやく採算ベースに乗るようになってきますと、あにはからんや、こんどは戦争です。
「パーマネントはやめましょう」の大合唱となりました。
昭和18年からは、秋田でも電力使用禁止令が出ました。
電髪が使えなくなったのです。
わたしは「木炭パーマ」などで営業しました。
お客さんは炭をもってパーマをかけに来るのです。
店の前には相変わらず行列でした。
戦争も女性の美しさへのこだわりを押さえることはできなかったのです。
わたしは本当に感動しました。
しかし「辛い、辛い日々」でもありました。
みんながパーマを歓迎している訳ではありません。
お国の一大事に敵国のパーマをかけるのは国賊だといって------店の前に炭をもって並ぶ数に勝る中傷、非難の嵐が吹き荒れました。

「アメリカのまねをするな」
と店に石を投げ込まれた苦い思い出もあります。
しかし、わたしはパーマをかけることを一度も止めようとは思いませんでした。
求めるものがいる限り、それに応えていこうと心に誓っていました。  

 

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