これは4月の初旬に岩手県と宮城県、翌週に福島県を訪問した際の報告です。連合会の三根理事長が、実際にご自分の目で会員の被災状況を確認する事になり、私が同行した経緯です。
まず始めに、岩手県事務局で現地の情報を確認したのですが、自身が被災し山田町のサロンも住宅も失った稲川岩手県理事長が避難場所でもある小学校の体育館から盛岡市に通い、組合の指揮を執っていた事にまずは驚かされました。
もうリタッチが出来ないだろうと云う事で、自慢のブリーチヘアを丸刈りにし、古着屋で購入したと言うブルゾン一枚で、着替えも持っていない様子は明らかでした。
私が連合会から依頼されて用意した無洗米と手に入る限りの生野菜を稲川さんに引き渡した際、「まかない担当の人達が喜ぶ・・」と言って少し表情が明るくなったのが印象的でした。
翌朝、山田町と仙台市を訪問しましたが、山田町は津波で流されただけでなく、残った建物はその後の火災で全て焼けてしまい、街のあらゆる物が失われた事が伺い知れました。
一方、仙台市にある宮城県組合事務局の話では支部長が亡くなられただけでなく、支部の会員の消息や避難先すらつかめない所もあるとの事で、情報集めが佳境に入っていました。帰りがけに若林地区の海岸近くまで足を向けてみました。
ガードレールの外側に広がる瓦礫の荒野にはただ息をのむばかりで、まだ多くの犠牲者を抱え込んでいるであろうこの荒野は、不気味に静まり返っていた事と、その彼方に眩しく沈んで行く夕陽が実に美しかったのが印象に残っています。
今回全組合員に呼びかけてこの度の災害に対する義援金を集めましたが、皆さまの善意がお陰さまで1,380,873円集まりました。心からお礼を申し上げます。
災いは何時やって来るか分かりません、明日は我が身かもしれません。元気でいられる事に感謝し、皆さまの善意を被災者にお届けする事に致します。ありがとうございました。
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